「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
これは今年2月に発売されてエンジニア界隈で話題になった本、『カイゼン・ジャーニー』の一節だ。
カイゼン・ジャーニーの主人公はこの言葉をきっかけにして、己の成長の旅をスタートする。
この言葉は、日本中のあらゆる人の心に鋭く突き刺さり、ある人には希望を、ある人には影を落としたことだろう。
あなたはどちらでしたか?僕は後者でした。
人は、何かをする存在でなくてはならないと、突き付けられたのだ。
人は、何かを成し遂げなくてはならないと、突き付けられたのだ。
「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
僕はこれまで、何をしたのだろう。
僕はこれまで、何をしてきたのだろう。
なんとなくやり過ごした学生時代。遊んで過ごした大学時代。搾取され続けたSIer時代。転職し、外の世界を知った弊社時代。
たかだか30年程度の人生を振り返っても、やってきたことを言葉にする事が出来ない。言語化が出来ないことを、何かを成し遂げたと言い切るわけにはいかない。
言語化ができないことは、再現性がないことを意味している。同じ事をもう一度やれるから、ナレッジメントには価値はある。
そもそも、言語化しようとすることがおこがましいのだ。高度に発達した現代の文明は、ただ何となく生きていれば大人になれる社会を実現してしまった。僕がその証明だ。何一つとして成し遂げてなどいないのだ。
ふと、気付いてしまった。
僕がいま、己の成長を求めて足掻き続けることの出来る環境、すなわち、『ここ』にいるのは、ただの生存者バイアスに過ぎず、たまたま、そう、たまたま、成長するキッカケがついてきただけなのではないか
「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
人は何かをしなくてはならないのだろうか。
人は何かを成し遂げなくてはならないのだろうか。
僕はきっと、何者かになりたかった。そうして何もやってこないまま、何者にもなれなかった。
そのような人間に価値はあるのだろうか。本当に価値は無いのだろうか。よしんば価値が無いとして、ならば価値が無ければ人生に意味は無いのだろうか。意味は必要なのだろうか。
それでも僕は生きていて、今日も僕はお腹が減る。
今日も食べていかなくてはならない。今日も生きていかなくてはならない。意味が無いとしても、価値が無いとしても、生がここにある限りは。お腹が減る限りは。
「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
僕は誇張無しに、転職をきっかけにして、努力することを覚えた
学ぶことを覚え、学んだことを仕事に適用することで、人と人、人とプログラム、プログラムとプログラムの歯車を合わせることを覚えた。
明らかに転職前に比べて、いい感じの毎日だ。
きっと、明日は今日よりもいい自分になるだろう。
きっと、明日は今日よりも出来ることが増えるのだろう。
きっと
たぶん
おそらく
ならば
ならば、明日は何者かになれるだろうか。
ならば、明日は何かを成し遂げられるだろうか。
ならば、明日は
明日は
明日は
明日は
明日は
明日は、
「それで、あなたは、何をする人なんですか?」
今日も、僕はお腹が減る。