エンジニアリング、マネジメント、日常、生活

時がうつろい環境が変われば好みや感じかたに変化が出るという事実を織り込み,それらも含んだ多くの要因の交互作用の中で,あらゆる営みは行われている(前田, 2014, p. 375)。

部下を部下と呼ぶ事にした話

部下を部下と呼んでいなかった

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「メンバーのことを部下とは呼ばない。マネージャーとプレイヤーは役割が違うだけで、上下関係は無いからだ!」とマネージャーが言及するのをよく見る。というか自分もまさにそのクチだった。
今となってはもうきっかけも思い出せないが、多分Twitterだかどこかで誰かがそう言っていたのを聞きかじり、「なるほど、確かにその通りであるなあ…ようし、僕も課員のことを部下と呼ぶをやめるぞ!」などと考えたのだと思う。結果として1年半ほど前に課長代理になってからずっと、明確に部下という呼称は使っていなかったと思う。

ななめ会議にて

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弊社にはななめ会議という制度がある。課に所属するメンバーが話し合い、課長に対して匿名でフィードバックを行う制度である。課員が普段自分についてどう思っているのか、率直な意見を聞ける大変有難い機会である。
そのななめ会議にて、先日僕は以下のようなフィードバックを頂いた。

「本来の仕事に集中出来ていない感があります」

雷が落ちたような気分になった。よく考えてみると、課長の本来の仕事とは何なのだろうか?いや、そもそも課長とは何なのだろうか?もしかしたら、自分はしっかりと課長という立場に向き合えていなかったのではないだろうか?

課長とは何か

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言葉の定義がわからないならば辞書を引く。広辞苑によると、課長とはこのように定義されていた。

か‐ちょう【課長】クワチヤウ
官庁や会社などで一課の事務を総括し、部下を監督する役。また、その人。

そう、僕は一課の事務を総括し、部下を監督する役。また、その人なのだ。
改めて自社の組織図を見てみる。言うまでもない。課長nitt-sanの課に、課員がぶら下がっている。僕は課員の仕事に、課員の成果に、課員の成長に、課員の評価に、課員の給料に、明確に責任を持たなくてはならない立場なのだ。僕は上司であり、課員は部下なのだ。部下を部下と呼ばないことは、上司の責任から目を逸らしていることに他ならない。これまで僕は課長という定義と向き合うこともせず、ただただ無邪気に「役割が違うだけ!」などと言っていたのだ。

組織構造と立場

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この事は、マネージャーがマネジメントする対象と、組織上どのような関係性にあるのかという、組織構造に拠る話なのだと思う。
例えばプロジェクトをマネジメントする立場にあり、参加メンバーの給与査定も評価もしない、プロジェクトの成果にのみ責任がある立場なのであれば、マネージャーは部下と呼ばない方がむしろ適切であると言えるだろう。そこに上下関係など存在しないからだ。
一方で「いいや、それでもやはり部下と呼ぶのは憚られる」というラインマネージャーはやはりいるかもしれない。
ならばあなたは、組織を真に上下関係が発生しない構造に変えるよう働きかけるべきだ。つまりはサイボウズのように横一列のティールな組織に変えてしまえばいい。マネージャーは管掌する組織を、自分自身の望む理想の関係性にするために、組織構造を変えるよう汗をかく必要がある。会社という組織に属していながらその努力もせず、頑なに部下を部下と呼ぶ事を拒むのは、ただの責任放棄と言えないだろうか。

本来の仕事を

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ところで件のななめ会議で自分が頂いたフィードバックには、最近自分が『誰の持ち物か管掌もハッキリされていない範囲にトラブルが発生し、早く解決しなくてはプロジェクト全体に遅延が発生する、極めて技術方面に寄った、トライアンドエラーを繰り返しながら手を動かすタスクの解消』に、毎日毎日深夜まで延々手を焼いていたという背景がある。
指摘されてみると確かに、全くと言っていいほど課長本来の仕事ではない。的確なフィードバックに本当に頭が下がる。すぐにその範囲を誰の持ち物かをハッキリ決めることと、今回自分が何を考えながら、どのように解決しようと試みたかを部下に伝えてスキトラを図ることをしよう。
まずはこれが、課長のいま本来すべき仕事だ。