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時がうつろい環境が変われば好みや感じかたに変化が出るという事実を織り込み,それらも含んだ多くの要因の交互作用の中で,あらゆる営みは行われている(前田, 2014, p. 375)。

【読書感想文】FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

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FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

結論

『まあ他の人がどうかは知らんけど、なんだかんだ言って自分は物事を正しく見れていますけどね』などということを少しでも脳裏をよぎったことがある人ほど、絶対に読んでほしい一冊。

世界を正しく見るために

人間は、自らの思い込みに邪魔をされ、正しく世界を認知出来ない生き物である。人間の進化の過程によって培われた本能が、世界のあらゆる出来事に対してドラマチックな解釈をしてしまい、歪んだ認知で誤った決めつけを行ってしまう。
本書では、いま世界で起きている様々な事項について、冒頭に13の質問を投げかけている。回答を無作為に選んだ場合、3択ならば33%、4択ならば25%の正答率となる(本書では、この無作為の正答率をチンパンジーが回答した場合と表現している)。世界の様々な国の人が、その問題に答えた正答率は、いずれもチンパンジーに劣ることになるという。即ち、そこに己の意思が介在し、自ら能動的に誤った答えを選択したということだ。 一体この原因は何なのか。それは、遠い昔にどこかで得た知識がそのまま、頭の中でアップデートされていないからだ。それは、毎日のようにテレビで放送されるショッキングなニュース映像により、世界をつい悲観的に考えてしまうからだ。それでは、何故いつまでも、人の知識はアップデートされないのか。何故いつまでも、テレビのニュースはショッキングな映像を流し続けているのか。本当の世界はこんなにも良くなり続けているというのに。 そして何故、温暖化に関する質問に関してだけは、人はチンパンジーよりも大幅に正しい答えを出すことが出来たのか。 その理由は、人間が10個の本能に突き動かされ、自らの思い込みに左右されやすい生き物であるからだ。本書では、その10個の本能にスポットを当て、それらを回避し、データを正しく見つめて、世界をあるがままに見る方法を示している。

世界を歪んで認知させる10個の本能

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ファクトフルネス : 物事を正しく理解するための本能の克服方法

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論理的思考の盲点

事実を正しく認知できる事実を正しく認知することは難しいです。なぜなら、人の認知は、大小違いはあれど、必ず事実からは変化してしまうものだからです。どんな人間であれ、ありのままの事実を完全に正しく認知することはできないのです。できる限り正しく事実を認知するには、自分の認知が、いつ、どのように歪むのか知る必要があります。
 - 『エンジニアリング組織論への招待』広木大地

多かれ少なかれ、人は事実を歪んで認知してしまう。論理的に筋道を立てたつもりでも、正しいデータを基にして立てた前提条件が、実は思い込みにより全く正しくないデータから算出してしまっており、全くロジカルでない答えをはじき出してしまうということが起きる。本書はその認知の歪みがどういうメカニズムで起こってしまうのかを、人類の本能という観点から迫り、可能な限りわかりやすく説明することに注力された良書である。

  • 発展途上国と呼ばれる国はいつまでも発展途上国のまま先進国にはなれないと思うこと
  • ユニセフがいつまでもBSのCMで恐ろしく貧困な地域の動画ばかりを流し続けること
  • 少子高齢化はいつまでも続いてこの国は老人だらけになってしまうと考えること
  • 遠く遠く九州の地に住んでいるのに、2011年以降極端に東北の地の食材を嫌悪すること
  • Twitterで気にくわない奴がいたら、レッテルを貼って一緒くたにして石を投げてしまうこと
  • 世界がいつまでもよくならないのは、世界のどこかにいる誰かがきっと悪いことをしているからだと考えること
  • 日本の政治が悪いのは、総理大臣や自民党民主党やその他あらゆる政党のどれかが絶対に悪いことをしているせいだと、悪者探しをしてバッシングすること
  • すぐ決めなくてはいけない・すぐやらなくてはいけないと眼前に突きつけられるほど、ろくな成果が出ないこと

これらのことは、本能が認知を歪ませているから起きていることだ。 データと向き合って正しく世界を見つめた時、世界はドラマチックでなく、少しずつゆっくりと良くなり続けていることに気付くことが出来る。
この本を読んでいる最中でさえも『まあ、自分は正しく物事を見ることが出来てるけどね』『ハハーン、なるほどね。知ってた知ってた』などということを浅はかにも考えていた自分であったが、読了してみれば、いかに愚かで浅はかだったのかを突きつけられた一冊だった。